本町4丁目

実績紹介

八十二銀行

春陽館書店

創業当時は小間物屋さん。衣類全般からふとんまで、幅広い商品を扱っておられたそうです。その後、新刊書店となり、現在は数少なくなった地元の本屋さんとして大切な存在です。特に「郷土書なら春陽館」で名が通ってるように、上杉謙信公関連をはじめとして、郷土書の品揃えは豊富です。
また、春は教科書販売で毎年大変お忙しいそうです。

春陽館の絵看板は、唯一絵の無い字だけのものですが、台行燈式の堂々とした看板です。
昔の業態を「萬小間物」、現在の特徴を「地本」「教科本」として表しています。

お店に立ち寄ると時々お目にかかれるのは春陽館の名物看板娘さん。とても90歳を越えられているとは思えない(昭和2年生まれ)春陽館の大女将です。本棚を背に、その風景の中に溶け込んで静かに佇んでいらっしゃるお姿には、凛とした不思議な光を感じます。老舗女将の風格でしょうか。いつまでもお元気でお店にいらしていただきたいですね。

アリサカ理容室

アリサカ理容室は江戸時代は脇本陣として上級武士をもてなす大切な宿でした。ところが、明治に入って材木屋、大正時代は銭湯、昭和に入って理容業と、時代の移り変わりに合わせて業態を変えて店を守り、家督を繋いでこられました。

アリサカ理容室の看板は大変ユニークな看板です。この看板の絵は「うつぼのおばけ」です。「うつぼ」は矢を入れて腰につける太い筒状の容器です。看板には「うつぼ」を顔と頭の部分で表現し、弓矢をかついで片手には手拭をひょいと肩にかけて持ち、ひょうきんな顔をして走っています。なんとも不思議な絵です。

お江戸の頃の絵看板には、とんちの効いたもの、謎解きのような面白い看板もありました。これは正に「とんち物の絵看板」の一つです。江戸時代、銭湯の入り口には弓矢が立て掛けてあったり、弓矢をデザインしたシンプルな看板を付けていました。“弓矢”が“湯屋”を表していることを町衆はみんな知っていました。

看板製作者の鈴木さんは、これを見事にアレンジしインパクトのある絵看板に仕上げてくれました。

アリサカ理容室のお宝はかなり古いと思われる黒光りした恵比須・大黒様の置物です。一斗枡の中に鎮座しておられます。風格のある古い枡にも、何かいわれがありそうです。

片桐呉服店

片桐家は、榊原藩政以前から武家の家来を継ぐ三百年の歴史ある旧家です。

いつ頃呉服店を始められたのかははっきり分かりませんが、明治36年発行の「高田商人勉強取組表」に前頭として片桐呉服店が記載されていますので、それよりかなり早い時期の創業と考えられます。

呉服を中心に衣料品全般に多くの商品を扱われていましたが、時代に合わせて、角巻、トンビ、マント、ママコートなど防寒着の品揃えに重点を置いて、ご商売をされていた時期があったそうです。

店内には当時宣伝用に使われた「流行・新形 外套女コート販賣」と書かれた看板が残っています。

絵看板にも、各巻を羽織った女性とトンビを着た男性が向き合っている姿が描かれています。
畳敷きのコーナーには、桐箪笥が並び、座売りされていた当時の賑わいの風景が偲ばれます。

美しいきものくろかわ

時代と共に業種業態が変化してきたお店が多い中、くろかわさんは創業時から呉服専門店でした。戦前の庶民の着物は木綿が主流でしたが、戦後誰でも絹の着物を着るようになりました。ウィンドウに飾った着物はどんな高価なものでもどんどん売れていった良い時代もあったそうです。くろかわさんが扱ってこられて着物は、京物ではなくどちらかというとちょっと粋な江戸柄のものが主流だったそうです。黒川さんの趣味はブログ。フットワークも軽く、本町商店街の大切な情報伝達人です。「くろかわ理事長ぶらぶらブログ」をぜひご覧ください。

今の時代を切り取る敏感な目を持っていらっしゃる黒川さん、直江兼続の「愛のカブト」をきっかけに次々と「ご当地タオル」を商品化され店前で販売されています。まち歩きの途中に出会える楽しい「ご当地タオル」、気楽に手の出るお値段もうれしい!

和ダイニング藤作

本店「松風園 藤作」は、明治時代から続く港町・直江津の由緒のある料亭です。3年前に改築され、昔の風格を残しながらもお洒落な和モダンなお食事処に生まれ変わりました。

高田本町商店街には、和ダイニング 藤作が13年前、藤作 別館は7年前に出店されました。

手を抜かない、見た目も味もお値段もおいしい「藤作」のランチは、女性に大人気。今でも予約を入れないとなかなか席が取れないくらいです。

「藤作 別館」のウィンドウには、魚の鱗を美しいアート作品に仕上げた作品が飾られています。昨年は「城下町高田花ロード」で受賞され評判になりました。今年の作品も「いいねマーク」がたくさん付いていたようです。
商店街になくてはならない大切な食のお店となっています。

ニコニコヤ

創業当時は、小間物の小売り、卸業を営み、近郷近在広い範囲にお得意さんがありました。

扱っていた商品も幅広く、絵看板のデザインになっている巾着袋などの袋物をはじめとした布小物、糸や筆、それに雛人形なども販売していました。絵看板のデザインになっている巾着袋には金彩の繊細なタッチで五人囃子が描かれてます。

城下町高田花ロードで店主のアート作品がグランプリを何度も受賞されているだけあって、ご主人はセンスがよく、しっとりと落ち着いた雰囲気のあるお店です。

はきものくらしげ

お店の入口あたりには、本業の下駄・草履が並んでますが、一歩足を踏み入れると「アレ?何屋さんだったっけ?」とにかくすご~いんです!店内の至るところに店主の女将さんが趣味で集めた骨董の徳利や盃、飯茶碗に湯呑み、土人形、和紙人形、博多人形、こけしに猫の置物、それにパズル。このパズルがまたすごい。今は亡きご主人と一緒に完成させた2000ピースクラスの浮世絵パネルがなんと46枚。壁という壁、天井近くまで展示されてます。

店主の女将さんは何事があっても動じない肝っ玉母さん。でも体格に似合わず、とても繊細!気配りが細やか!!それに話題が豊富!!!ついつい長居をしてしまいます。ゴチャゴチャしているけど、居心地の良い不思議なお店です。お年寄りの居場所としても大切なお店です。

中嶋歯科医院

創業当時は下職人町(大町5丁目)の今井染物屋の隣で、同じく染め物を扱う「紺屋・和七」という大店でした。当時が偲ばれる立派な店構えは北越商工便覧にも描かれています。

本町商店街の中で歯科医院として家督を継いでおられる現在のご当主はスマートでかっこいいドクターご夫婦です。先代も現ご当主も骨董好きだとか。本町通りに面したウィンドウには2月3月はお雛様、普段は染物屋の頃の染め絵や「染物屋株札」の木札(町奉行所から出される営業許可証のようなもの)、名入りの法被などそれに骨董の品々が品よく、さりげなく飾れられていて、通る人の目を楽しませて下さってます。

雪の花みそ・みそ漬 杉田屋

江戸時代は糀屋、現在は味噌の製造販売。米糀がたっぷり入った糀味噌は香りも良く、味わい深い。お味噌汁にすると、お椀いっぱいに糀の粒が雪のように広がることから「雪の花味噌」の名がついています。糀の美白効果を自ら証明するような美人若女将が味噌スイーツを商品化され、味噌を愉しむ食スタイルを提案されいます。