本町5丁目

実績紹介

焼肉渡邉

肉は国産が中心。特にホルモンは、希少部位の「シビレ」や「タケノコ」などもあり、メニューの豊富さは、上越随一。

二十数年前から、高田・直江津で飲食店を経営されてきた、オーナーの渡邉さんは、地元上越の出身。念願叶って、現在地本町五丁目に本格焼肉の店を構えることが出来ました。

ご家族やグループ、みんなで元気をつけたい時には、最適のお店です。半個室が多く、お1人でゆっくり上質な肉を味わいたい方の為に、お一人様用の個室も用意されています。

パティスリー・フルール

店名のフルールは、仏語で花。

フランス料理・菓子のル・コルドンブルー新潟港で、本格フランス菓子を学ばれました。その頃から「オペラ」が大好きで、自分でお店を持つ時には、一番に作りたいと思っていたそうです。コーヒーは、十日町のミールクラフトに注文し、オペラに合わせたブレンドのものを使用。

店主はゆったたりとして大らかな感じの方ですが、スキーのインストラクターであり、茶道の免状もお持ちで、ピアノも弾かれる、という多才な方です。

きもの絹絵屋 上越店

絹絵屋はチェーン店であり、店長は数年単位で変わります。会社の経営理念は「人の喜ぶ喜び」、「お客様に喜んでいただくことが自分の喜び」として、全店、全社員が、日々誠心誠意お客様に接しておられます。

華やかで美しい彩りのウインドウは商店街を明るくしてくれますね。

てんぷら割烹 初音

初代(先々代)は、幸町あたりで魚屋を開業。まだ高田駅が出来る前で、直江津から大八車で半日かけて魚を運び、魚市場のような仕事もしていたそうです。その続きで、現在の魚市場「一印」の立ち上げにも関わられていたそうです。

店内に飾られている富岡惣一郎の絵画などは先代のお父様の趣味で集められたもの。精巧な模型の飾り物は現在のご当主の作。初音に入る前は、プラモデルを作る会社でお仕事をされていたこともあるそうです。

店名に惹かれて、とある界隈の70名以上のファンの方々が、貸切りで集われたこともあるとか…。

文美堂書店

現ご当主の曽祖父に当たる方は榊原藩の士族でした。藩主の国替えに同伴して姫路から来越されてこの地に根付かれ、謡曲の師範として活躍されました。金谷山に石碑も残っているそうです。

明治に入って息子の滝野信治がお馬出しの通りで小間物卸し業を創業されました。早くもバテンレースに着目され東京・横浜へ広く売り出されたそうです。

信治の息子は、祖父の血を受けられたのか、また謡曲の師範となり、昭和の初め頃百冊以上の謡曲の本を揃えて書店を開業されました。

「文美堂書店に謡曲の教則本で無いものは無い」と言われたほどで、謡曲を習う人にとっては無くてはならない存在でした。近郊近在どころか、かなり遠方からも買い求めに来られたそうです。

ラ・モード オータニ

大谷家のルーツは榊原藩士。姫路より殿様と一緒に来越され、この地に根を下ろされました。
「馬まわりの役」という下っぱの下級武士ですけどね。と言いながらも「殿様からお誉めいただいたことがあるんですよ」と奥様は誇らしげに話されます。
「弓が得意でね。殿様から特別の家紋を授かったのです。うちの家紋は元は橋の葉を2つ並べただけのシンプルなものだったのですけど、その上に矢羽の葉の部分を乗せた家紋を使うことを特別に許されたのです。」

商店街の近代化事業で店を建て替えた時、昔のものは全部処分してしまったので、お宝と言えるものは何も残っていないそうです。それだけに、この家紋に対する思いには強いものを感じました。

絵看板にも家紋を入れていただきました。創業は明治元年!直前まで武家の暮らしをしていて、思い切りよく方向転換をされた潔さに感服です。

大原スポーツ

創業当時は大原器械店として、電気製品、蓄音機、体育器具、体育遊具など様々な商品を扱っておられました。スキーの製造販売も始められましたが、かなりの高級品を扱っておられたようです。「品質本位・高級スキー」の文字が入った当時の新聞広告も残っています。

大正十年の全国スキー競技会の折にお越しになられた朝香宮 鳩彦王殿下がご乗用になったスキーが大原スポーツのお宝として残っています。

このお話をお聞きしたとき、大原さんの看板は本物のスキーをそのまま板に貼り付けたものにしようと思いました。大原さんに残る古いスキーを頂戴しようと思っていたところ、絵看板製作者の鈴木さん宅に同年代、同タイプの子供用スキーが見つかったというのです。そのまま板に取り付けて、雪国高田らしいとても素敵なスキーの絵看板が出来上がりました。

上越紺太

紺太さんは明治の初めに柏崎で創業されました。紺屋として創業されましたが、呉服や衣料全般を扱うようになり、寝具・インテリアへと業態を広げてこられました。

最盛期は、4階建ての総合衣料品店となり、4階には100席の大食堂があったそうです。現在は、高田を本拠地として、オーダーメイド枕を提供するなど「ふとんと眠りの専門店」として、広くご商売をされています。

店名の紺太は、創業者の紺屋 中村太蔵の「紺」と「太」を取って「紺太」となりました。当初は太蔵を襲名することになっていたそうです。

大杉屋惣兵衛 本店

新潟県内の和菓子屋の中で一番歴史のある老舗。本家は春日村(現在の土橋)、謙信公の春日城下にありました。昔は街道筋の「大あめや」といわれていました。令和6年元旦の震災により、伝統のあめ部門は終了しましたが、和菓子屋として「素材を吟味し、丁寧な菓子づくり」の精神を受継いでいます。謙信公ゆかりの羊羹「第一義」「春日山」は故・岸朝子さんのお墨付きです。

今は亡き先代の当主 宮越光昭さんは、戦後の高田の文化を牽引してきた文化人仲間のお一人。往年の銀幕スターを彷彿させるような笑顔の素敵な方でした。

晩年は「飴屋今昔」や「このまちで出会った人びと」など、来し方に思いを巡らせ、執筆活動を楽しんでおられたそうです。

店内奥には当時お付き合いのあった先代 斎藤陶斎さんの陶芸品や濱谷浩さんの代表作の1つ「鳥追い」などが常時展示されています。

クラフトハウスかわかみ

創業当時は糸紐専門に取り扱う糸商でした。店内には昔の糸巻きが展示されています。

昭和初期に仲町から現在の本町5丁目に移転、新築されましたが、当時の店舗は直径1mはあろうかという大きな梁と明かり取りの為の天窓がついた雪国特有の立派な木造建築だったそうです。

店主であるご主人の趣味は大工仕事、奥様と大女将はお二人とも針仕事が得意。まさにクラフトファミリーですね。クラフトで困ったことがあったら何でもご相談下さい。かゆいところに手が届く。懇切丁寧な指導をして下さることでしょう。