明治39年の越後高田町商業地図には「煎り豆 山田屋」の店名が載ってます。八百屋になってからもずっと大豆・小豆などの豆類や煮干し、昆布なども売っていたそうですので、創業時は「乾物屋」だったかもしれません。
明治41年に陸軍13師団が入場したとき、隊員さんのための大量な食料が必要となり、朝市が始まりました。当時、山田さんの前の本町2丁目からお馬出しの辻あたりに多くの朝市のお店が出されたので、朝市のあった日は大変な賑わいだったそうです。
隊員さんのおやつにと焼き芋の販売を始めたのが人気を呼び、焼き芋は山田商店の大ヒット商品になりました。今でも「高田高校へ通っていた頃、お宅の焼き芋よく食べましたよ」と懐かしがられて声をかけて下さるお年寄りがいらっしゃるそうです。