梶川家はお江戸の頃は榊原藩士で藩の江戸屋敷に小川未明の小川家とともに暮らしておりました。(未明のおばあさまは梶川家から嫁入りしたそうです)明治に入り、当主は高田に戻り、裁判所で代書の仕事をしていたそうです。陸軍13師団が入場した頃、次男の祖父は需要があったハンコ屋を始めました。梶川正得の「正」をとって「正山堂」を名乗ったそうです。店内には、当時使われていた「御印師」の看板が渋い光を放ってます。